徒然なるままに~大学院進学を決めるまで~

通信制高校に勤務した経験を、思うがままに綴っていますが、今日は番外編。

何をもって番外編や本編とするのかは私裁量なのですけれども。

一度社会人として働いた私が大学院へ進学するまでのお話でも綴ろうかと思います。

今日は通信制高校のお話はほとんどありませんので、興味のない方はすっ飛ばしてください。


さて、私が大学院進学を考え始めたのは…かなり前のことです。

何年前と書こうとして、あっ年齢がばれる…と慌てて消しました(笑)

具体的には、学部2年生か3年生の頃。

私は規模のそこまで大きくない私立女子大に通っていました。教育学を専攻しているわけでもなかったのですが、学内で教育関係のプロジェクトを立ち上げ、教育関係・心理関係の学生・教職員の方を中心とした活動の代表をしており、一言でいえば調子にのっていました。


同じ時期に、のちにゼミ教授としてお世話になる先生からお声がけいただき、大きなシンポジウムで発表する機会を頂き、発表。また、学内代表として年間を通した大きな会議に出席することとなり、私はさらに調子にのっていました。


その頃、いろいろな先生方や職員さんから「研究者に向いてる気がする」と言われたことがきっかけで、私は大学院進学を夢見始めます。完全に調子にのっているキラキラ系大学生の私は、キラキラしていました。


そんな私も現実を見る日が来ます。大学4年生、進路を決めなければならないときです。

キラキラした学生生活を続け、周囲からは大学院進学を勧められる日々が続いていましたが、現実を見なければなりません。と言いながら、現実を見ずに卒論に没頭していました。

しかし、卒論テーマをある研究会で発表させていただく機会があり、その時に「やっぱり家庭科を教えたい」と思い、進学ではなく、通信制高校への就職を決めました。これが4年生の1月末日。そう、私はそこまで進路についてみて見ぬふりしたのです。


とは言え、学部の先生方と議論したり討論することが何よりも楽しいと感じていて、卒論を書くことがとても楽しかったのです。大学院進学という夢は心のどこかにずっとありました。

そのため、就職後は大学院へ進学したくなったとき用にと極貧生活。周囲には「結婚資金を貯めている」と謎の宣言をしながら、徹底的に節約した自炊生活を送っていました。


転機があったのは就職して数年後。

過労で体調を崩し、動けない日々を過ごしました。

もう一生働けないかもしれない、動けないかもしれない、だったら後悔ない人生を!なんて熱い思いではなく、ただただ動けない身体で天井を見ながら、「あー元気になったら大学院の説明会へ行こう」とふと思ったのです。


実際、元気になった私は大学院の説明会へ。そこで今のゼミ教授と出会います。が、まさかこの時はお世話になるなんて思わず…と言うか、実はこの時まだ体調は万全ではなく、あまり記憶がありません(笑)これはまだゼミ教授には内緒。


そこからまた数年。仕事が嫌いで辞める選択だけはしたくなくて、仕事に全力で打ち込みながら、研究テーマを探す日々を送りました。

と言いながら、仕事は多忙で、論文を読んだり、専門書を読む余裕はなく、ただ、目の前の生徒を見ていると「何とかしないといけない」問題だけは明確になっていきました。

そして、仕事が楽しい、充実していると思った年、私は大学院を受験、合格し、退職しました。


仕事を辞めて進学する、まだまだ日本では少ないのかもしれません。

でも、不思議と私は一度社会人を経験して大学院へ入ったこと、今までのすべての経験に後悔がないのです。

大学院なんて言ってどうするの?とか、お仕事辞めてまで行く必要あるの?とか、いろいろ言われます。その意見を聞いてその通りだなーって思うこともたくさんあります。

でも、今の生活が楽しくて仕方ない、それだけで何も間違ってなかったって思えるのです。

そして、私はこれからも自由気ままに、自分の選んだ道を突き進む気がする今日この頃です。


ここに記載する内容は、某通信制高校に勤務した一教員の経験談に過ぎません。 そんなこともあるのだ・・・程度でご覧いただければ幸いです。 また、質問等ありましたらコメントまたはTwitterのDM等にてお願いいたします。

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